社会臨床雑誌12巻3号

(2005-03-26発行)

はじめに(日本社会臨床学会編集委員会)(1)

〈学習会「『暮らしの中の医療化』を考える」報告〉

学習会趣旨(2)

発題I 現代の医療化の課題(石川憲彦)(3)

発題II 「発達障害」から見える「暮らしの中の医療化」(三輪寿二)(18)

討論(22)

〈論文〉

アメリカの優生運動研究ノート(I) なぜ優生学なのか?(秋葉聰)(33)

最近の「尊厳死・安楽死」推進の動きとその批判(古賀典夫)(57)

「延命医療の中止」問題を考える(篠原睦治)(61)

不登校の子どもはどのように医療を経験しているのか(東京シューレ)(70)

進路状況に見る学校教育制度の揺らぎと「日の丸・君が代」の強制徹底〈再掲載〉(岡山輝明)(81)

〈「映画と本」で考える〉

書評 青木純一著『結核の社会史』(関根柳司)(92)

『子どもとゆく』を読んで(原内理恵)(95)

〈“ここの場所”から〉

東京都公立学校教職員に配布された「教職員のためのストレス問診表」(岡山輝明)(99)

編集後記(102)

日本社会臨床学会第13回総会のお知らせ(表紙裏)

はじめに
日本社会臨床学会編集委員会
左の頁をご覧ください。第13回総会のお知らせを掲載しました。2005年4月9日(土)・10日(日)に、東京都の北区滝野川会館で総会が開かれます。この雑誌を手に取られる皆さんは、おそらくすでに「社会臨床ニュース」総会特集号(No.56)がお手元にあるだろうと思いますが、もう一度ご確認いただければ、と思います。
今号は、2004年秋の学習会「『暮らしの中の医療化』を考える」(2004年12月12日)の報告を掲載しました。
今号では、この学習会の掲載の仕方を変えてみました。従来のように、司会の趣旨説明から、発題、討論までをひとつながりにするのではなく、趣旨説明、一つひとつの発題、討論をそれぞれに分けて改頁してみました。やりはじめる前は何とかなるだろうと思っていたのですが、実際行なっているうちに、いろいろに見えてきた問題もありました。それでも、独立した形で掲載してあるとそれぞれが読みやすくなっているようにも感じました。それで、読者のみなさんがどのようにお感じになったか、ご忌憚のないご意見をお寄せいただけるとうれしいです。
学習会の2つの発題は、石川発題「現代の医療化の課題」と三輪発題「『発達障害』から見える『暮らしの中の医療化』」です。これらの発題は、第13回総会のシンポジウムにもつながっています。石川さんは、医療化を現代特有の問題ではなく現代的な特徴をもった医療化の姿があるのだ、と論じ、三輪さんは、医療・教育・心理の専門家、行政、私たち自身がともどもに医療化を促進していることを指摘しています。秋葉論文「アメリカ優生運動研究ノートI なぜ、優生学なのか」は、3回連載予定の第1回目です。古賀論文「最近の『尊厳死・安楽死』推進の動きとその批判」、篠原論文「『延命医療の中止』問題を考える」は、秋葉論文と重なっています。安楽死や尊厳死に名を借りながら、とことんまで生命をつないでいく延命医療を放棄していく流れの中に、現代的な装いをもった優生思想がしっかり根付いている、そうした問題として、3つの論文はつながっているように思います。合わせてお読みいただければ、現代社会の優生思想的なあり方が、生命の質(QOL)の論理などともからみ合いながら見えてくるのではないか、と思います。あまりに先んじてこれらの状況が見えることがよいのだろうか、という篠原さんの指摘は、にもかかわらずそれを現実として受け止めながら私たちがそれにどう対していくかを真摯に考えがえなくてはいけないのだ、と感じます。朝倉・中村・須永・奥地の共著論文「不登校の子どもたちはどのように医療を経験しているか」は、不登校の子どもたちが、近年、再び医療の対象にsれ、かなりの量の投薬をうけている状況に対して調査をもとにしながら問題点を明確に投げかけています。その意味で、本論文は「暮らしの中の医療化」という学習会のテーマと重なってきます。
前号本誌に掲載した岡山さんの総会発題部の図表が印刷不鮮明でしたので、今号に改めて掲載しました。読者のみなさんならびに岡山さんにお詫びするとともに、再度お読み頂けたら、と思います。
〈「映画と本」で考える〉には、青木純一著『結核の社会史』への関根書評、子どもとゆく編集部編『子どもとゆく』への原内書評を掲載しました。また、〈“ここの場所”から〉には岡山さんが、東京都公立教員への管理強化の一つとしてストレス問診票が闊歩し始めたことを報告しています。
さて、総会は会員、非会員どなたでも参加できます。みなさんの周りの方々もお誘いいただきますように。いろいろな意見をたたかわせ、納得したり持ち帰りにしたりしながら、総会を過ごせることを願っています。