社会臨床雑誌16巻3号

2009年3月1日発行

はじめに(日本社会臨床学会編集委員会)(1)

〈論文〉
メタボ検診・健康不安意識・新自由主義(上)(井上芳保)(2)
ナチスの人種検査(山下恒男)(14)
学校の中の「直接の関係」を守る(原内理恵)(28)
臨床のアート(藤澤三佳)(42)
「当事者」概念の落とし穴について(川英友)(51)
ライフストーリー・インタビューのプロセスそのものを物語として読めないか(矢野泉)(58)
〈家庭科の不思議(そのI)〉戦前と戦後の連続性(梶原公子)(66)

〈対談〉
北京オリンピック委員会の入国禁止措置問題を考える(藤野豊・篠原睦治)(79)

〈映画や本で考える〉
「自由」と「民主」の理想的なカップリングとは?(中村英之)(94)
原田文学の世界と精神医療(山内裕史)(96)

〈ここの場所から〉
脱人間中心主義の教育思想を視野に置くハイブリッドな生命圏における育ち直し(矢野泉)(102)
〈まか不思議な世界〉(6)(赤松晶子)(105)

日本社会臨床学会第17回総会のお知らせ(表紙裏)
編集後記(110)

はじめに

日本社会臨床学会編集委員会

このたび、『社会臨床雑誌』16巻3号をお届けする。いまは、お手元に届いてお読みいただき、それらの意見、感想が響き返されてくることをただ願うのみである。
昨年の第16回総会では、「『健康不安』を捉えなおす~食育・健康増進・禁煙から」を考えたが(16巻2号掲載)、一昨年の学習会では、健康増進法と食育基本法に焦点を当てて、「『健康不安』の背景を探る」(16巻1号掲載)を語り合っている。井上芳保さんは、この間、これらをめぐって一緒に考えてきたが、このたび、「生活世界の医療化を批判するための覚書」として「メタボ検診・健康不安意識・新自由主義(上)」を論じている。
山下恒男さんは、16巻1号で「もう一つのエリス島物語~アメリカ移民はいかに選別されたか」を書いているが、今回のは、「ナチスの人種検査~厳密さに彩られた虚構」である。つまり、この二作は、20世紀前半のアメリカとドイツの優生思想・優生施策の諸相と諸問題を描いている。
15巻3号で、金澤ますみさんが「学校内外で『つながる』ことの重要性とその課題~スクールソーシァルワーク活動から」を書いているが、このたび、原内理恵さんが、「金澤論文を読んで考えたこと」として、教員の立場から「学校の中の『直接の関係』を守る」という提言をしている。
矢野泉さんは、「在日朝鮮人教育に取り組む元小学校教員Sさんとの協働の試みから」「ライフストーリー・インタビューのプロセスそのものを物語として読めないか」と模索しているが、このたび、その過程を公開している。
藤澤三佳さんは、「臨床のアート~“癒し”としての自己表現展について」を書いているが、ここでは、精神病院における患者のアート活動とその作品を紹介し、鑑賞した者たちの感想を交えて、治療のためか芸術表現そのものかのはざまで思索を重ねている。
川英友さんは、近年肯定的に使われている「当事者」概念に「落とし穴」がないかを論じている。
梶原公子さんは、一昨年の学習会で「食育」問題で発言しているが、このたび、「家庭科」の学校教育における役割、位置づけ、その時代的経過・背景を「家庭科の不思議」とくくって連載を始めた。第一回は、「家庭科教育前史」として「戦前と戦後の連続性」を検証している。
昨夏の北京オリンピックでは、「精神病、ハンセン病、性病」などの者たちに対する入国禁止問題が公然化したが、藤野豊さんと篠原睦治さんは、このことをいろいろに語り合っている。
〈映画や本で考える〉欄では、中村英之さんに、井上芳保編著『セックスという迷路』を、そして、山内裕史さんには、原田和弘『愛に撃ちぬかれし者』を読んでいただいた。〈ここの場所から〉欄では、矢野泉さんが、「脱人間中心主義の教育思想を視野に置くハイブリッドな生命圏における育ち直し~カミングアウトの語りから」を書いている。そして、赤松晶子さんが、連載エッセイ「まか不思議な世界」(6)として「精神病をどう捉えるか」を考えている。この際、お願いしたいが、〈映画や本で考える〉欄では、会員の著作をどんどん紹介していきたいので、自薦他薦してくださると有り難い。どうぞ、よろしく。(2009/01/25)