社臨・最初のページへ第七回総会のページへ


シンポジウムI
いま、学校・教育はどうなっているか

教育や養育の問題は、世代継承といった側面から考えると極めて「社会形成」にとって重要な問題で、どの様な教育体制が行われるかによって社会体制が決定されるという意味合いも含まれています。これまで、学校教育についての検討は、不登校問題や障害児問題を中心にして問題点を明らかにしてきたわけですが、今回は、生涯学習(社会教育)、大学までを含めて、いま学校や教育の場で何が起こっているのか、何が問題なのかをトータルに見つめながら、そこに共通する問題を明らかにしたいと考えています。教育問題を問うということは、結局、社会とか経済の問題を問うことにも繋がり、「教育の商品化」といったテーマとも重なってくると考えられます。

現在、学校荒廃の問題や、日本の経済活力の問題もからんで「教育改革」も進行中です。学校と急激な変化をとげている社会とのずれが明確になっている今日、学校の意味づけが問われていると思います。現代における学校・教育を社会構造の分析を通して考察してみたいと思います。

発 題

赤田 圭亮(神奈川県中学校教員) 「中学校の現場にこだわりつつ」

佐々木 賢(日本心理センター) 「世界の学校の荒れをめぐって」

中島 浩籌(YMCA高等学院) 「生涯学習社会への疑問」

加藤 彰彦(横浜市立大学) 「自由競争社会と大学」

司 会

小沢 牧子(和光大学)

武田 利邦(神奈川県高校教員)


中学校の現場にこだわりつつ

赤田 圭亮(神奈川県中学校教員)

私は、教員生活のほとんどを横浜学校労働者組合という教員の少数組合を基盤としてきました。ですから、学校という場や教育という行為を教員の労働という視点と併せて考える習性があります。子どもの変容や親の変容と言われる現象を前に、教員の働き方と意識がどう変わってきたのか。厳しい批判に晒されてきた教員がどんな風に社会と断絶し、またつながっているのか。教員として教育に向かい合うときのスタンスの元となっているのは何なのか。そんなことを考えてきました。必ずしも私は、教育否定論者ではありません。もちろん熱心な教員でもありません。ありていに言えば、身過ぎ世過ぎのひとつとして、自分が干からびない程度に、思春期の生徒と時間が共有できれば良いのではないかと考えてきました。しかし、そうするためには、越えなければならないハードルがたくさんあることに気がつきました。そのハードルを突き詰めることが、現在の教育のあり方を考えていく上で、意味を持っているのではないか、と考えてきました。


世界の学校の荒れをめぐって

佐々木 賢(日本心理センター)

今世界の各国で教育改革がはやっている。だが米英では自由主義教育に批判的になり、日本とは逆の方向に進みつつある。つまり、自由と厳格の間で右往左往するだけで、学校の荒れに対しては効果がないようだ。

最近では先進国の他に、中国・韓国・マレーシアの校内暴力が伝えられ、ポーランドでは少年犯罪の凶悪化が問われ、パレスチナでは攻撃的な子どもが増え、ヨルダン・エチオピア・南アやマラウイでも校内暴力対策に大童であるという。

近代に始まる教育のシステム機能が麻痺し始めたに違いない。とすれば以下の問題を考えねばならない。?教育大衆化=学歴資格の目減り。?個人化の進展と欲望の肥大化。?世界的規模での社会構造の集権化。?知の浮遊化=技術の下方分化・生活の電化電子化。?情報大衆化=テレビ携帯電話→学校形骸化と階層隠蔽の不可能性。?大人と子どもの関係変化=家族機能の低下。


生涯学習社会への疑問

中島 浩籌(YMCA高等学院)

「教育改革」という言葉が様々な所で使われています。行政も、行政を批判する側もこの言葉を多用しています。内容もいろいろで、ナショナリズム的なものもあれば市場原理導入的なものもあり、管理的でない教育をめざそうとするものもあります。いずれにせよ、より良い教育を求めるという視点でこの言葉は使われています。今の学校制度はひどいが、教育には可能性があるということなのでしょう。

文部省が実行している「生涯学習社会への移行」もそうです。生涯学習は、学校の役割を縮小し、学校の外へ教育を広げていくというものです。学校の中だけで教育を受け、学齢期だけで学ぶといったシステムから「いつでも、どこでも」学べるシステムへ移行していこうとするものですから、教育を今以上に社会に浸透させていこうとするものです。

では、学校教育はダメだが、教育には可能性があると言ってしまってよいのでしょうか。私は大検予備校など学校の外で教育にかかわっていますが、そこの経験を通してこの問題を考えていきたいと思います。


自由競争社会と大学

加藤 彰彦(横浜市立大学)

現在、大学では「小子化」をめぐって、大学入学者の減少という現実を迎え、各大学とも生き残りをかけて、さまざまな対策にしのぎを削っています。

学生や親が何を大学に求めているのか、そのニーズをどのように把握し、実現するのかという課題が大学では求められています。また、大学審議会の答申「21世紀の大学像と今後の改革方策について」(1999年1月)のサブタイトルは「競争的環境の中で個性が輝く大学」となっています。効果と能率を基準として大学と教員のリストラも始まりました。自己点検・自己評価が各大学で取り組まれ、学生による教員の評価も行われるようになりました。さらに、入学してくる学生にとっても大学で学ぶ意味が変化してきているようにも思えます就職や資格の問題が重要な判断基準になったり、設備や雰囲気が重要な問題にもなってもいます。大学や卒業資格が商品化している状況の中で、大学教員8年目を迎える元小学校教師の思いを語りたいと思います。


社臨・最初のページへ第七回総会のページへ