日本社会臨床学会第22回総会のご案内

2014年度の日本社会臨床学会総会は、明星大学にて開催します。

今回の総会は、定期総会と二つのシンポジウムから構成されています。

二つのシンポジウムはいずれも長年社会臨床学会の場で多くの方が考え、論じてきた問題です。

一つは医療化と脱医療化、 過剰医療にかかわる問題です。

もう一つは若者の貧困、労働、そして生き方や人間関係の問題を「家族」という視角から考えます。

どうぞふるってご参集ください。

なお、参加にあたっては事前予約などは必要ありません。当日、直接、会場受付までお越しください。

日本社会臨床学会第22回総会

開催日・場所

日時:
2014年5月10日(土)・5月11日(日)
会場:
明星大学 28号館 1F・104教室 (〒191-8506 東京都日野市程久保2-1-1;多摩モノレール線「中央大学・明星大学」駅下車)
参加費:
3,000円(2日間)、2,000円(いずれか一日のみ参加)、1,500円(学生等)
交流会参加費:
3,500円(当日会場にて参加の確認をしますので予約等の必要はありませんが、事前に参加を決めておられる方は、下記連絡先までご一報いただければ幸いです。)

プログラム

5月10日(土)
10:30 〜  受付開始
11:00 〜 12:00定期総会
13:00 〜 17:00シンポジウムI 医療化の問題とその先にあるもの
18:00 〜 20:00交流会(明星大学28号館2F学生食堂にて)
5月11日(日)
10:30 〜  受付開始
11:00 〜 12:30シンポジウムII 「家族」の解体・変容をどうとらえるか〜若者の生き方、人間関係から〜
13:30 〜 16:00シンポジウムII(続き) 午前の話題提供を受けての討論

シンポジウムI 医療化の問題とその先にあるもの

今回のシンポジウムでは、社臨誌21巻2号の「近代医療の限界と『医療化』の問題を問い直す」という特集の執筆者の中から、3人の方に話題提供していただくことになっている。美馬達哉は脳の研究者として、松田博公は鍼灸の理論家として、中島浩籌は「不登校」経験者と関わる教育を通して、それぞれの視点から「医療化」の問題に深くかかわってきた。

生物学的あるいは機械論的身体観に先導された近代の「医療化」は、人の生命の自然な力を損ない、人間を客体化すると同時に個人化し、「病い」を個人の身体のうちに閉じ込めてしまった。今や「医療化」は、人の誕生から死までを覆いつくし、さらに「学校に行けない」「人前であがってしまう」といった、ささやかな逸脱をもその中に囲い込み続けている。一方で、身体が有機水銀や放射線に蝕まれる事態は、「医療化」によってしか対応することができない。こうした「医療化」をめぐる錯綜した状況をどう捉え、どう打開していくのか。精神医療を一つの糸口にして三者三様の視点で模索していただこう、というのが今回のシンポジウムの主旨である。

話題提供者
美馬達哉(京都大学大学院医学研究科)
松田博公(鍼灸ジャーナリスト)
中島浩籌(法政大学)
司会
原田牧雄(学会運営委員)
井上芳保(学会運営委員)

医療化とは何か

美馬達哉

医療化という言葉は、1970年代から社会学の分野で使われ、21世紀の今日でも医療を社会統制の一つとして社会学的に考える上で重要な概念であり続けている。

また、社会学の枠を越えて一般用語としては、医療化はしばしば批判のための罵倒語としても用いられる。たとえば、I・イリイチの『脱病院化社会(原著1976年)』などでは、医療専門家の支配領域が近代社会で「帝国主義的」に拡大し、社会的な問題が個人の身体の不調として切り詰められることが、「医療化」として語られている。

一方で、1980-90年代以降には、同性愛が病的と見なされなくなったこと(脱医療化)、医療専門家よりも製薬企業の役割が大きい場合があること(薬物化)、消費者としての患者が自ら病気としての認定を求める場合があること、健康者が医薬品などを用いて能力増強を図る場合があること(エンハンスメント)など、臨床的な医療者ー患者関係とは異なる場所で新たなタイプの現代的医療化が進展しつつある。

この報告では、こうした現状を俯瞰するともに、自閉症スペクトラムの当事者たちによる「脳多様性」の主張を現代的医療化の一例として紹介する。

「医療化」を超える〜鍼灸医学と「日本的なるもの」をめぐって
―発表の前置きとして―

松田博公

イバン・イリイチの「交通化」「学校化」「医療化」の概念は、移動すること、学ぶこと、癒すことが産業化すると、本来の目的に反する逆生産性が生まれるという指摘である。やがてイリイチは、産業社会批判から、産業化を受け入れる人々の心性史の考察に移る。それは、諸々のミクロな権力の布置が、人々の意識、言説、学問体系を変容させる歴史を追究したミシェル・フーコーの「考古学的」作業と重なる。

イリイチの「交通化」「学校化」「医療化」の概念は、ユートピア思想とみなされてきたようである。産業化以前の前近代の、取り戻すことのできない生活や心性を理想化する牧歌的で懐旧的な議論であると。文明化、技術化によって社会は不可逆的に変化する、変化を受け入れつつ改善、調整する道を選ばなくてはならないと。イリイチの概念は、牧歌的どころかむしろ、ディストピアを予告する。

交通は、環境の変化を味わう移動の快感を前提にしている。学校は、自発的に学ぶ喜びを前提にしている。医療は、身体の治癒し甦る内在機構を前提にしている。これらの産業は、決して産業化されない精神や身体の即自性、自律性に依存し、その活き活きとした実在を前提に成り立つ。

産業化が、こうした精神、身体の即自性、自律性を植民地のように収奪し窒息させるなら、逆生産性の域を超えて、産業自体が崩壊する。わたしたちがこのような人類史の砂漠に向かいつつあるのは、目前の状況から、ほぼ確かであるように思われる。

「心」の医療化、どう抵抗するか、どのように抜け出すか?

中島浩籌

私は仕事柄「不登校」経験者とよく話しています。その「不登校」は80年代までは「登校拒否症」と捉えられ、精神医療の対象でした。90年代になってこの病名を貼られることはほとんどなくなり、ようやく医療の対象からはずされるようになりました。

しかし、今日もなお多くの「不登校」経験者が医療の対象とされています。「登校拒否症」というレッテルこそありませんが、さまざまな病名、障害名をつけられ、治療・ケアの対象となっています。こういった「医療化」の動向をどう考えていったらいいのでしょうか。

「医療化」を進展させる要因は行政や医者、製薬会社の動向によるものだけとはいいきれません。親や教師、周囲のさまざまな人々のまなざしや実践が大きく影響しているのです。身近なところに網の目のように形成されている仕組みが「医療化」を進展させているとしか思えません。

しかし、その医療化を疑問視する人たちも多くいます。そしてさまざまな問題提起を行い、医療化に囲い込まれない生き方を模索している生徒たちも少なくありません。

総会シンポジウムでは、そういった人たちとの出会いの中からみえてきた「医療化」の問題性について話し、「医療化」に抵抗する道筋、あるいはその枠組みから出ていく模索をどのように考えていったらよいのかを考えていければと思っています。

シンポジウムII 「家族」の解体・変容をどう捉えるか〜若者の生き方、人間関係から〜

1960年代には、98%の人が結婚していたが、現在は生涯未婚率が男性35%、女性27%に達しそうな状況になっている。また単身世帯は近い将来4割に達し、標準世帯の倍になりそうである。さらに2013年度の離婚率は36%で、3組に1組の夫婦が離婚している。家族の在り方は大きな岐路にさしかかっている。特に若い世代では、結婚して家庭を作るのが当たり前の時代から、まず結婚するかしないかが人生の選択の時代に入っている。

今回の話題提供者は、全司法労働組合の横山勝氏、社会福祉学の堅田香織氏、学会運営委員の梶原公子氏。背景やアプローチの異なる話題提供を聞くのが楽しみな反面、3人の糊代を見つけ、その後ろに広がる異なる部分を模様として、いろんな切り口から討論可能な素材になるよう、話題提供者と共に織上げていきたい。そこから、社会臨床学会・発の「家族」の解体・変容をどのようにとらえるかを発信できるようにしたい。

話題提供者
梶原公子(学会運営委員)
横山勝(全司法労働組合)
堅田香緖里(埼玉県立大学)
司会
崎原秀樹(鹿児島国際大学)

近代家族を拒否する若者

梶原公子

近代家族は近代社会で一般的、標準的家族と認識されるものであり、資本主義経済を発展、維持させ、国民国家の最小単位とされてきた。これは戦後も一貫して(慣習としてであっても)性別分担カップル(男が働き、妻子を養う)を基本とした点で家父長的家族である。が、現在では「児童のいる世帯」は4世帯に一つに過ぎなくなっている(2012年)。というように、この家族形態は社会の再生産機能を果たしているとは言い切れず、近代家族はメジャーな形態といえない。この変化は「生涯未婚率はなぜ上昇しているのか」という疑問と結びつけて考える必要があると思われる。つまり、一定割合の若者(ことに20代後半から30代の女性)はたとえ無意識であっても、近代家族は危うい、そこでの生活は自分が「このように生きたい」という思いとのズレが大きい、生きづらいと感じているからではないだろうか。それでは近代家族はどこが危ういのだろうか、いったいどこに彼らとのズレがあるのだろうか。シンポではこの点を中心に発題していきたいと思う。

新しい労働や生のあり方としてベーシックインカムを再考する

堅田香織

福祉国家における様々な社会保障・社会福祉制度は総じて、これまで「標準世帯」ないし「近代家族モデル」を前提としながら、かつそうした家族モデルを維持・再生産するよう機能してきた。そしてそれはまた、性別役割分業や異性愛主義の規範を維持することにも貢献してきた。しかしながら、「標準世帯」が含意するような特定の生や労働のあり方に馴染まない生や労働を生きる者たち―マイノリティ―は、これまでも/これからも排除されてきた/いく。

本報告では、このような既存の社会保障・社会福祉制度の編成とその課題を概観したうえで、そうした課題を乗り越え得るための政策構想の一つの候補としてベーシックインカム(基本所得)を紹介する。ベーシックインカムのアイディアそのものは200年以上の歴史を持つ古いものだが、近年福祉国家の「再編」が進む中で急速に注目され始めたものでもある。そのしくみは単純で、生活に必要な所得が個人を単位として無条件に保障される、というものである。この構想が、「標準世帯」を基盤とする既存の社会保障・社会福祉制度とは異なり、新しい労働や生のあり方に開かれ得るものであることを皆さんとともに議論してみたい。

*近隣の宿泊施設としては、「シティホテル高幡」(多摩モノレール線高幡不動駅徒歩3分、TEL042-591-1121)、「富士旅館」(多摩モノレール線高幡不動駅徒歩5分, TEL042-591-4530)があります。多摩モノレール線高幡不動駅から、総会会場最寄りの「中央大学・明星大学」駅は3駅目、所要時間6分です。宿泊ご利用の際には、学会では手配などはしておりませんので、各宿泊施設へ直接お問い合わせいただければ幸いです。

今総会に関するお問い合せは、以下の連絡先までお願い致します。

総会実行委員長 明星大学 明星教育センター 榎本達彦
電話:090-8345-3988
メール:shakai.rinsho@gmail.com