再度、教育基本法の「改正」に反対する

再度、教育基本法の「改正」に反対する

2006年5月20日

日本社会臨床学会第14回総会

2006年4月28日、教育基本法「改正」案が国会に提出された。一読して、自民党と公明党の妥協の産物、寄木細工との印象を免れない。しかし、そこには、国家が憲法「改正」に先立って、21世紀の日本社会と人々の生き方・暮らし方を権力的に規定しようとするもくろみがにじみ出ている。

世界経済のグローバル化に対応するという名目の下にエリート中心の能力主義社会が構想されているのだが、それは、徹底した競争関係、発達障害などの障害者の括りだしによる健常者との決定的な線引き、性差別などの諸問題を露出させてきた。そこでは、人と人との普段の関係は縦横ともどもにつながりを失い、全てが自己責任へと収斂されて、私たちの内面と暮らしに国家が入り込むことを容易なものとしてしまうのである。2年前、私たちは、教育基本法「改正」の中にこの事態を見い出し反対声明を総会決議したが、今回の「改正」案は、現行法の「男女共学」の項目の削除、「障害児教育」の新たな項目化とともに、徳目化を明確にさせており、私たちの望まぬ予想を裏付けている。こうした能力・性別による格差拡大の方向のみならず、「家庭教育」や「地域との連携」も新たに項目化して、家族と親の責任を強調し、国家が家庭や地域社会をも教育の名の下に管理しようとしている。

表現に妥協の後を滲ませたとしても事実上新たに盛り込まれたものの一つは「愛国心」である。これは、東京都公立学校の教職員に対する「日の丸・君が代」の掲揚や起立斉唱等への職務命令という強制措置などに現れているが、他方で、『心のノート』に代表される道徳教育の強化やスクールカウンセラー制度に見られる教育の心理主義化が進行してきた。すなわち、陰に陽に、バラバラに分断された人々の内面と暮らしを国家が統合することを意図したものである。

同時に、私たちは次のことにも気づいておきたい。今回の「改正」案提出のタイミングは9月の自民党総裁選や来年の統一地方選、参院選にかかわる与党の政治的思惑から決定されたにせよ、他方で日米軍事協力体制の緊密化が進行していることを見逃してはならないのである。5月1日に日米安全保障委員会で合意に達した在日米軍の再編は、自衛隊と米軍との一体化を推し進め、極東はおろか、アジア太平洋地域を超えた米軍の世界戦略に日本が組み込まれることを意味している。すなわち、「愛国心」の強調は「海外派兵」を含めた戦時における国民の協力を要求するものとなる危険性が高いということである。

現行の教育基本法は、明治憲法下の教育勅語を否定し、平和で民主的な社会の建設に向けて、あえて国民のあり方を指し示す教育宣言として、同時に侵略戦争へと国民を駆り立てた教育行政の役割を、教育諸条件整備に限定する性格を持って制定された。しかし、能力主義を導く規定や、そもそも個人の生き方を国家が規定してよいのか、これ自体「不当な支配」にあたるのではないかという根本的な問題など、様々な批判が重ねられてきたことも事実である。これに対して「改正」案は、法的性格を全く逆転させ、憲法に託した民主主義と不戦・平和の願いを一蹴して、これからの国民のあるべき姿を「教育の目標」等で仔細に規定すると共に、「振興」の名の下に教育行政の縛りを解き放ち、生涯にわたって国民の心身、生活を管理下におこうとするものである。むしろ、90年代から推進されてきた市場開放に道を開く新自由主義の教育改革を踏まえて、公教育制度を国家の支配装置として再定義し、自ら進んで国家に従う国民をつくろうとすることに主眼があると見るべきである。

しかし、国家による支配、管理がなくなれば問題がなくなると考えるわけにはいかない。私たちは性別、能力、年齢、国籍・民族などさまざまな違いがあろうとも、多様な人々と結び合い、せめぎあいながらともどもに生活するような社会のあり方の道筋を築いていかなければならない。

私たちは、再度、教育基本法「改正」に対して、強く反対を表明する。