社会臨床雑誌第19巻第1号
2011年05月08日
はじめに 日本社会臨床学会編集委員会(1)
〈日本社会臨床学会2010年合宿学習会「女性が働くこと、若者が働くこと」報告(2010年11月6〜7日 於熱海市・いでゆ荘)〉
話題提供 女性と若者が働くことの現在 梶原公子(2)
話題提供 生活の中の一コマから 古谷一寿(16)
話題提供 女を従属させて生きる男の労働と自立をどう問うべきか 井上芳保(18)
討論(31)
〈論文〉
変革の志操—『相互扶助論』(クロポトキン)が照射する行く手—【その3】 飯島勤(49)
ハンセン病隔離に関する研究の現状と課題I 宇内一文 62)
発達障害の現在と問題 戸恒香苗(71)
教育無用論の現在 原田牧雄(85)
〈日本社会臨床学会第18回総会記録を読む〉
武田秀夫氏講演「楕円幻想」について 山下恒男(90)
後ろ向きに前進を続ける方法とその意味 崎原秀樹(98)
「当事者」概念を問い直す—「する側」からの考察— 中村豪(101)
「当事者」概念を問い直すシンポジウムの報告を読んで 境屋純子(103)
現代日本における教師の「当事者」概念の変遷 吉田直哉(105)
「当事者」の存在・視線・声 そこから始まる 松浦武夫(108)
「いま、自立・労働を問い直す」を読んで感じたこと 池見恒則(121)
〈映画や本で考える〉
「戦後沖縄」を体験する 根本俊雄(124)
〈ここの場所から〉
観念と現実の間(6) 佐藤剛(127)
医療観察法—現状と問題点 大賀達雄(130)
編集後記(133)
日本社会臨床学会編集委員会
去る3月11日の大震災は、茨城大学を事務局としている本誌の発行にも大きな影響を与えた。雑誌の印刷、発送が遅れ、原稿をお寄せいただいた方、会員、読者の皆様にご迷惑をおかけしたことを、まず陳謝しておきたい。
2010年の秋の合宿学習会は、場所を熱海に移して行われた。テーマは、「女性が働くこと、若者が働くこと」。今号はその記録を掲載している。梶原公子は、多くの男性の雇用が不安定化する今こそ、女性がいかに差別されてきたかを明らかにし、新たな男女の共同性を模索するチャンスと主張する。古谷一寿は、家事・育児の大半を分担した自身の経験を語り、男女の関係のあり方を探っている。井上芳保は、テレビドラマや映画なども題材にしながら、現在の女性差別を論じ、さらに新たな家族のあり方を、性の問題も射程に入れて、模索している。
論文は四本ある。飯島論文は、連載の三回目である。今回はクロポトキンの唱える「相互扶助」を、宗教的心性ともつながるものとして考察している。宇内論文は、ライ予防法が廃止されたにも関わらず、いまだに差別と偏見にさらされる元患者の現状をどう捉えるか、自身の視点を明らかにしている。戸恒香苗は、小児科の現場での体験を踏まえて、「発達障害」という概念を批判的に捉え返している。原田牧雄は、佐々木賢の講話に触発されて、教育否定の言説の変遷を論じている。
今年度も、「第18回総会記録を読む」という特集を組み、7人の方にご寄稿いただいた。山下恒男と崎原秀樹は、武田秀夫の講演録を読み、山下は自身の読書体験を重ねて、講演の奥に広がる世界を探求し、崎原は、自身の人との関わりを辿りなおす道しるべとして、捉え返している。シンポジュウムⅠ「『当事者』概念を問い直す」を巡って、今回は四人の方から文章が寄せられた。中村豪と境屋純子は、現場の経験を踏まえて、福祉サービスを「する側」と「される側」が、それぞれの思いを超えて、どういう関係を作っていくかを模索している。吉田直哉は、「教師の当事者意識の変遷」という視点から戦後の教育の変化を見直している。松浦武夫は、「当事者性」という言葉を、観念的に批判するのではなく、自身の経験と試行錯誤の中で改めて問い直している。池見恒則は、シンポジュウムⅡ「いま、自立・労働を問い直す」を踏まえ、自身の生活を振り返りながら、「自立とは何か」についての思索を深めている。
「映画や本で考える」のコーナーでは、根本俊雄が野本三吉の『沖縄・子ども生活史』を読み、この本に描かれた沖縄の戦後の経験に注目し、壊れたシステムを一から作り直した作業を、現代日本の状況打開のヒントとしている。
「ここの場所から」の佐藤剛の連載も今回で6回目になる。今回は、勤めている施設でも体験した「タイガーマスク現象」についての見解を述べている。大賀達雄は、「医療観察法」ができて5年目の様々な現実的問題点を、批判的に考察している。
最後になりましたが、18巻3号の表紙で江端一起さんと吉田直哉さんの名前の文字を間違えてしまったことをお詫びします。また、「はじめに」で江端一起さんの所属を「ごかい」としてしまいましたが、正しくは「前進友の会」です。お詫びして訂正します。