【声明】教育基本法の「改正」に反対する
2004年5月4日
日本社会臨床学会第12回総会
イラク人質事件で噴出した「自己責任」論は、今日の国民と国家との関係を示して余りある。すなわち、国民は国家の指し示す範囲内において行動すべきであり、少なくとも国家に迷惑をかけるべきではないとするものである。いつの間にか国家が主体であり、国民はそれに従属すべきものと位置づけられた。教育基本法の「改正」はまさしくこうした位置関係に国民を貶めるものであり、同法と不可分の関係にある日本国憲法「改正」の引き金を引くものである。
近代公教育制度は、統一国家にとって「国民」を創り出し、その「国民」を戦争に総動員するための不可欠の装置として機能してきた。だからこそ教育基本法の制定には、内外にはかりしれない惨禍をもたらした先の戦争(日本によるアジア・太平洋諸地域の民衆への侵略戦争)への深い反省に立って、国家の教育支配に歯止めをかける願いが託された。それが今、イラク自衛隊派兵下にあって「お国のために命を捧げる人間をつくるべきだ」と与野党国会議員の「改正」論議の中であからさまに語られているのである。
こうした国家主義徹底の動きは、小学校通知表の「愛国心評価」や、都立学校における「日の丸・君が代」の強制徹底による教職員の大量処分などに露骨に現れている。その一方で、「スクールカウンセラー」制度の導入や『心のノート』に見られる、教育の心理主義化や道徳教育強化の動きも進行してきた。この二つの動きは相互補完関係にある。新自由主義の教育改革に方向付けられた公立学校の改革、国立大学の「独立行政法人化」、さらに盲ろう養護学校及び普通学校の「特別支援教育」に向けての編成替え等々とも決して無関係ではない。これらは学校教育を市場主義的に再編成すると共に、子どもや若者、教職員相互の横の関係を切断して上下関係に統制し、何事も「自己責任」に帰結させるものである。
中教審答申に言う「新しい公共」とはそれぞれの分をわきまえて国家のために尽くせと言うに等しい。性教育・ジェンダーフリー思想は教育基本法「改正」勢力の激しい攻撃に曝されており、「愛国心」にとどまらず「健康維持増進」をも含めて、人々の日常生活の在り方全体が管理・監視の対象とされつつある。これらは学校、家庭・地域、あらゆる場所に生涯にわたって及ぶと見なければならない。「改正」案に新たに基本規定が盛り込まれようとしている「教育振興基本計画」は、このような管理・監視を実現するために文部科学省にフリーハンドを与えるものである。
教育基本法の「改正」は、自発的な服従を引き出しながら人々の生き方を支配し、徹底して国家に従わせることを意図している。これは内外に一層大きな惨禍をもたらすに違いない。私たちは教育基本法の「改正」に強く反対するものである。しかし、国家による「不当な支配」を排除すれば問題が解決する訳ではない。私たちは同時に、生まれてきた人間が性別・年齢差を問わず、また「障害」のある人、国籍・民族を異にする人など、多様な人々と対等な関係を結びながら生活する社会的な道筋を創造しなければならないと考える。