社会臨床学会学習会「津久井やまゆり園で起こったこと:問うていること・とわれていること」

知的障害者施設「津久井やまゆり園」(神奈川・相模原市)で、2016年7月26日、元職員、植松聖が、利用者19名を殺害し、26名(内、職員2名)を重軽傷させるという事態が起こってしまった。前代未聞の凶悪犯罪である。この犯罪の問題は、容疑者、植松は措置入院経験者であり、被害者は障害者であるという捉え方ゆえに、特殊、限定的に報じられ論じられがちなことである。

今回の学習会では、障害者の立場、障害者運動に関わってきた立場、障害者と生き合ってきた健常者の立場などを振り返りながら話題提供することから、参加者とともに、この事態が問うていること・この事態から問われていることを、さまざまに語りあいたい。なお、ここでは、「障害者」、「健常者」と記したが、当日は、このような括りそのものも考えたい。

学習会「津久井やまゆり園で起こったこと:問うていること・とわれていること」

開催日・場所

日時:
2016年11月03日(木)
会場:
滝野川会館(東京都北区西ケ原1-23-3、JR京浜東北線上中里駅/JR山手線駒込駅)
参加費:
500円 (会員・非会員とも)
話題提供:
篠原睦治(子供問題研究会)
古賀典夫(怒っているぞ!障害者切り捨て!全国ネットワーク)
司会:
根本俊雄(NPO法人 SAN Net 青森)

司会から: この事件で、精神障害者の仲間たちは怯え落ち込みつつも

根本俊雄

私は、精神障害者の小規模事業所の運営をしている。一つは街なかの日中活動の場。もう一つはグループホームである。

日中活動の場にひとりで通いにくいメンバーがいる。彼は行き交う人々に注視され、考えが把握されると感じる。そこで、私がアパートまで迎えに行く。ある日、車に乗った彼が「今朝のニュースを見ましたか?」とボソッといった。それは相模原障害者施設殺傷事件の朝だった。

事務所でも事件の話になる。別の男性メンバーが、犯人は俺たちのような人間だろうか?とたずねる。グループホームで暮らしている女性メンバーは「私たちは襲われないでしょうか」という。不安のベクトルは、被害・加害の立場、「一般市民」からの視線とあちこちで渦を巻く。やがていろいろな情報が入ってきて興奮はさめ、今度は落ち込む。

三日ほどたった朝のミーティングで、司会の男性メンバーが、昨夜のTVニュースのことを話し始めた。そこでは、事件をめぐって、びわこ学園の創始者糸賀一雄「この子らを世の光に」が語られた。重い障害をもつこの子たちが幸せになって、この世が幸福になるという言葉に感銘を受けたのだそうだ。

...障害のある人が世の光になるんですよ。世の光を障害者にあてるのではなくて。その通りだと思いました。ぼくはりっぱな人間になりたいとずっと考えてきました。他の人から立派だねといわれたいわけではないし、生活保護は打ち切れないだろうけど、人の優しさに気づくようなりっぱな人間になりたいと思ってきた。この言葉はそういうことを言っていると思う。自分勝手に考えてきたのですが、同じことを考えていた人がいて、そんな哲学があることを知って、ほんとうにうれしく思いました...。

このとき私はつくづく彼に励まされたのです。今回、恒例の合宿を取りやめて上記の通り学習会を行うことにしました。それぞれの暮らしと願いから思いと考えを語り合いたいと思います。どうぞご参加ください。(ねもととしお)

話題提供I: 津久井やまゆり園事件が起こる時代

古賀典夫

7月26日、朝のニュースに私も驚愕した。相模原市と言えば、「くえびこ」という作業所の関係者など私の知り合いがいる地域だ。慌てて知り合いに電話をする。知り合い関係者で事件に巻き込まれた人はいないようだが、報道以上のことはわからないと言う。考えてみれば、地域での「障害者」運動と入所施設はやはり隔絶しているのだった。

ニュースは被害のすさまじさを伝えるとともに、植松の「障害者はいなくなればいい」との発言を伝え始めた。

2009年4月、カルデロンさん一家(ご両親が強制送還され、娘さんは日本の学校に通っていたこと)に対する在特会の嫌がらせ行動があり、これに反対する行動も行われる、との情報を聞いた。その場に行くと、在特会の聞くに堪えない言葉が聞こえてくる。その後、何度かこうした行動に参加する中で、日本の歴史が新たな時代に入ってしまった感覚を覚えた。その排外主義言動から、いつか排外主義者は、殺人をも含む襲撃を加えるのではないか、との懸念をもっていた。こうした排外主義者の攻撃対象は、在日や滞日の外国人だけでなく、生活保護受給者などにも向かっていた。

津久井やまゆり園事件のニュースに接する中で、恐れていた時代が、しかも「障害者」をターゲットとして始まってしまった、そんな直感を覚えた。

私の知る情報の範囲で考えると、植松は、「障害者」を殺すことが人類のためになるという確信に基づき、用意周到に準備して、襲撃を図った。短時間であれほどの人々を殺傷できたのも、使命感と考える以外に答えがあるだろうか。激情に駆られてできることではないだろう。そして、植松の思想と行動を支持する発言がインターネット上に書き込まれてもいる。

私にとって重要な関心の一つは、植松がなぜあのような思想を持ち、行動に至ったのか、ということだ。「障害者」をはじめ、多くの市民にとってもそうだろう。彼のような思想が生まれることの必然を一般的に説明することはできる。政府もマスコミも、社会保障が大きな財政負担となっていることを流し、石原や麻生などの政治家が「障害者」や高齢者の生存を否定するような発言を行い、政府が「尊厳死」の推進を行ってきたのだ。しかしもっと、彼の経験してきたことに即して、彼の思想形成を知りたい。

しかし、政府・厚労省は全くこうした発想とは異なる対応を行っている。9月14日に公表された“相模原市の障害者支援施設における事件の検証及び再発防止策検討チーム”の「中間とりまとめ~事件の検証を中心として~」では、措置入院後の対処問題と施設の防護問題のみに関心があるようだ。医療観察法に基づいて行われていることを参考にすべきだ、との趣旨の記述もあり、「精神障害者」への強制入院体制をますます進めようとしているように思われる。『産経新聞』は、刑法と関連する「治療処分」の導入を主張している。戦時中から狙われてきた本格的な保安処分が法制化される危険性もある。

9月29日に行った“「骨格提言」の完全実現を求める大フォーラム実行委員会”の厚労省交渉では、厚労省は植松について「異常な人物」としてだけとらえ、彼の思想形成など全く関心がないことが判った。そのためか、津久井やまゆり園での労働条件、虐待も含む利用者への施設側の対応などは全く把握しようともしていない。

このような姿勢で、最終意見書がまもなく取りまとめられようとしている。

私の知り合いの「精神障害者」は、誰かに襲われるのではないか、という不安と、政府の強制入院制度強化への恐怖の両方に追い詰められる気分だ、と言う。私たちは否が応でもこの状況と闘っていかなくてはならない。当たり前のことだが、闘いながら考え、議論しながら闘うことが必要だ。(こがのりお)

話題提供II: いま、この事態で、「共生・共育」を振り返る

篠原睦治

今年8月、「津久井やまゆり園」で、同施設元職員、植松聖が同施設利用者(「知的障害」者)を大勢刺殺傷する事態が起こってしまった。先んずること、2月、植松は、衆議院議長宛に、「障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることが出きます。」などと記した手紙を届けている。そして、そこに記された「作戦内容」通りに実行している。

あれ以来、1972年5月5日付の、「こどもの日の福音」と位置付けられた「胎児をチェック先天異常児生まぬ健診兵庫県が費用負担へ」と見出ししたベタ記事を幾度となく思い出す。そこでの代表的・象徴的な状態は「ダウン症候群」で「顔つきがおかしく、知恵遅れや虚弱体質が多い」と説明されている。

当時は「不幸なこどもの生まれない」行政対策であったが、それは、今日、医療サービスとして「親の自己決定権」に基づいて行われていて、「先天性の病気、奇形、染色体異常」の疑いが出れば、大半の場合、中絶されている。ひとつの「社会的常識」と言ってよさそうだが、植松の主張は、この「常識」に納まっていることだと思えてならない。

当時、ぼくは、このことを批判して、「『障害児(者)』を、その家族に抱きかかえさせることを建前としておいて、その家族に『大変でしょう。殺してもいいよ』と“恩恵”的に関わってくる国家・社会の非人間性をわれわれはしっかり見抜いておかなくてならない。」などと発言している(1972年5月10日付『朝日』「声」欄)。意外だったが、これに対する異論、反論、共感は「(当時の用語で)精神薄弱児」の親たちからだった。子供問題研究会は、そのような親たちとぼくも含む専門家、教師、学生とがせめぎ合いつつ一緒に考える場として出発した。「勉強が出来ても出来なくても、地域の普通学級に行こうよ」と。あれから44年が過ぎた。今回の話題提供では、既述のことから話す他ないが、思いは未整理のまま散り乱れている。当日は、少しは論点整理をして報告し、皆さんと一緒に考えたい。(しのはらむつはる)