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シンポジウムII
先端医療の中の自己決定権とカウンセリングを考える

私たちは、老若男女などさまざまな関係の中で、生老病死の種々相を生きていますが、今日では、そのような暮らしの多くの部分が、先端医学・医療の世界に包み込まれてしまっています。

その中で、着床前診断・胎児診断、脳死・臓器移植、遺伝子診断・治療、尊厳死・安楽死などの主張がなされ、それらは実験されたり、実行されたりしています。そして、それらの問題や矛盾も噴出しています。

私たちの学会は、日本臨床心理学会改革時代以来、「早期発見・治療はなぜ問題か」と問い合いながら、本学会創設以後では、脳死・臓器移植の考え方と合法化に批判的発言を重ねてきました。

最近では、臓器移植法が原則として掲げている「本人意思の尊重」(「自己決定権」の擁護)に問題がないのかと語り合ってきましたが、世間では、この擁護のためのカウンセリングの充実と制度化も提唱されています。

今回は、「自己決定権とカウンセリング」の問題に焦点をあてながら、先端医療の諸問題を解明し、共々に語り合いたいと願っています。

発 題

福本 英子(フリーライター) 「生命技術社会の現状を考える」

篠原 睦治(和光大学) 「アメリカの最近事情を探る」

玉井 真理子(信州大学医療短期大学部) 「遺伝カウンセリングの現場から考える」

竹内 章郎(岐阜大学) 「自己決定論と生命倫理学の現在を考える」

司 会

三輪 寿二(東京足立病院)

林 延哉(社会臨床学会運営委員)


生命技術社会の現状を考える

福本 英子(フリーライター)

二十余年前、遺伝子組換え技術が作り出されたことを知って、途方もなくうさん臭いと思ったのが、ことの始まりで、以来、進行する生命技術社会の正体をつかみたいという“野望”を抱えて今に至っている。DNA問題研究会活動に参加しながら、ジャーナリズムの末端で、日々の糧を得てきたフリーライターだが、ただ今、遺伝子治療と「ヒト」組織利用の動きを取材中で、ES細胞についても近く調べを始める予定。医療は、先端生命技術を導入して急速に産業化し、産業に組み込まれ始めている。それによって医療の概念が野放図に拡大され、人の資源化、製品化が進んでいる。その構図の中で医療の側から保障される「自己決定権」とは何なのか、「カウンセリング」とは何なのか、と考えてみているところである。

著書:『生命操作』(現代書館)、『生物医学時代の生と死』(技術と人間)、『生命操作事典』(共著、緑風出版)、『操られる生と死』(共著、小学館)など。


アメリカの最近事情を探る

篠原 睦治(和光大学)

ぼくは、70年代前半から「共生・共学」の願いと主張に繋がって発言を重ねてきたが、その中で、胎児診断、脳死・臓器移植、尊厳死・安楽死等の優生思想性に気づいてきた。ところで、養護学校義務化を批判しつつ提起された「親の学校選択権」も「どの子も地域の学校へ」と繋がらないと批判したのだが、昨今の「自己決定権」の主張にも、同様の問題を感じている。80年代当初より、アメリカの関連事情に関心を持ってきたが、上述の諸事態を肯定的に醸成する背景として個人至上主義などがあるように思われる。今回の発題では、「アメリカ最近事情」を素材に、「自己決定権とカウンセリング」に焦点をあてて論じたい。

著書:『障害児教育と人種問題』(現代書館)、『アメリカ合州国・1991年の夏』(自主出版)。論文:「いま、なぜ、カウンセリングを問うのか」(『和光大学人間関係学部紀要』3号)など。


遺伝カウンセリングの現場から考える

玉井 真理子(信州大学医療短期大学部)

信州大学医療短期大学部教員、同大医学部付属病院遺伝子診療部カウンセラーだが、専門は心理学と生命倫理学。出生前診断と選択的人工妊娠中絶、障害新生児の選択的治療停止と親による治療拒否、遺伝子診断と遺伝カウンセリングなどを考えてきた。高校2年になるダウン症の子どもの親でもあるが、医療現場では、遺伝病をめぐる苦悩と向き合いつつ、遺伝カウンセラーとして修業中である。シンポジウムでは、遺伝病にまつわる相談事例などを交えて、クライアントとカウンセラー双方の悩みと葛藤をお話したいと思う。

著書:『今どき、障害児の母親物語』(ぶどう社)、『てのひらのなかの命』(ゆみる出版)、『障害児もいる家族物語』(学陽書房)、『街の中の出会いの場−お元気ママたちのふくしづくり』(ぶどう社)。論文:「出生前診断と自己決定」(『現代思想』1998年7月号)


自己決定論と生命倫理学の現在を考える

竹内 章郎(岐阜大学)

専攻は社会哲学だが、近代主義、新自由主義に対抗し得る現代平等論を、生死に直結した領域から広義の福祉に至る領域へまたがって構築したいと願っている。当日は、自己決定論に関する思想的・哲学的系譜に言及しながらも、主として、自己決定論における個人還元主義と自己責任偏重の問題を、私の主張する「能力の共同性」論と対比させつつ考えたい。こうした議論は、治療至上主義に対抗して、真のカウンセリングの中核にあるケアの論理の明示に接続し、さらに、「弱者」排除を強化しかねない現在の生命倫理学の軌道を修正することに繋がると考えている。

著書:『「弱者」の哲学』(大月書店)。論文:「「弱さ」の受容文化・社会のために」(『「近代」を問いなおす』所収、大月書店)、「個性の問題化のために」(『個性という幻想』所収、世織書房)、「責任概念の転換と生命倫理」(『生命倫理』通巻7号)、「相対主義的装いをまとう絶対主義の陥穽」(共著、『相対主義と現代世界』所収、青木書店)、「能力主義にもとずく差別の廃棄」(『哲学』49号)、「死ぬ権利はまだ正当化できない」(『岐阜大学地域科学部研究報告』14号)


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