「シリーズ社会臨床の視界」(現代書館 全4巻)

シリーズ名
シリーズ社会臨床の視界
編集
日本社会臨床学会
発売
現代書館(2008年4月)
各巻タイトル
  1. 『「教育改革」と労働のいま』
  2. 『精神科医療---治療・生活・社会』
  3. 『「新優生学」時代の生老病死』
  4. 心理主義化する社会』
価格
各巻 3,000円(税別)

第1巻 『「教育改革」と労働のいま』

日本社会臨床学会(編)

子どもや教師、若者から元気を奪う事態が、この10年急速に進行している。その背景には、90年代半ばのころから展開した経済のグローバリゼーションと国家主義の蔓延がある。「心の教育」という名の愛国心教育、日の丸・君が代強制のもとに、学校が閉塞していく。習熟度別学習、学校選択制、特別支援教育のもとに、子どもはさらに分けられて仲間関係を失い、教師や専門家とのタテ関係に閉じ込められていく。教師もまた自身の評価と競争に翻弄される。とりわけ重大なできごとは、1947年に制定されて以来一度も変更が行われなかった教育基本法が、2006年、全国各地の人びとの強い反対の意思表示を無視して、新法に改定されたことである。新法には「国と郷土を愛する」との文言をふくむ徳目が羅列され、国家による家庭教育への介入も懸念されることになった。

2007年に制度化された特別支援教育という名のあらたな特殊教育は、作り出された新しい診断名のもとに子どもをさらに振り分け、地域の子どもたちがいっしょに暮らす場としての学校を許そうとしない。こうして学校にはさまざまな問題が積み重なっている。「子どもを分けるな」という基本姿勢こそが、問題を解く古くて新しい鍵ではないのか。

若者労働の場にも、大きな変化が起きている。1995年に財界から出された提言「新時代の日本的経営」は、労働者を振り分けることで、多くの非正規労働者を生み出した。労働と教育にかかわる政策は、いつも連動しながら変化する。競わされ分けられながら学校生活を終えた若者たちは、こんどはあらたな経済構造のなかで、「エリート」「下積み」を問わず疎外された個人契約体と化していく。

本書はこれらの危うい現状について、教育政策、子ども状況、若者労働の三つの角度から分析し論じ提言する。 (第一巻編集担当 小沢牧子)

第2巻 『精神科医療---治療・生活・社会』

日本社会臨床学会(編)

新自由主義(ネオリベラリズム)は、これまで「国家の保護下」にあった医療界に多大な影響を与えている。心神喪失者等医療観察法や障害者自立支援法の法制度から生物学主義的な「急性期医療の充実」という治療方法にいたるまで、新自由主義と不可分に結びついている。精神障害者に対する差別・偏見は温存されたまま、心神喪失者等医療観察法は、社会治安的施策の急進化の一翼を精神科医療に求め、障害者自立支援法は、自己責任化を当然視して地域における精神障害者の生活圧迫を加速化させてきている。そして、急性期精神科治療は人間関係的な関わりを排して身体のみを対象化する生物学主義的な治療へと傾斜していると言えるだろう。

社会治安対策としての精神科医療は「何をしでかすかわからない」精神障害者イメージを不必要に喧伝して国民感情を煽ることで容易に「国家的」「国民的」に成立する。そして、自己責任化は、事情の如何を問わずに働けない者を強力にスティグマ化し、これまで以上のドラスティックな排除のための装置として機能し始めている。

いま、精神科医療は、管理・抑圧批判だけでは済まされない諸課題を呈してきているのではないか。本書は、これまでの精神科医療への批判的言説を含みながら、現代的状況の新たな問題群に目を向けるとともに、それらに対する抵抗の試みや地道な実践を、あるいは紹介し、あるいは模索したいと考え、編まれたものである。

精神科医療における「治療」と精神障害者の「生活」の視界から見えてくる、いまの「社会」の姿は、障害のあるなしを越えた“わたしたちの課題”として捉えるべきものを示しているように思われてならない。精神科医療の世界は分かりづらいと思われがちであるが、お読みいただければ、そこには“わたしたちの課題”があることをご理解いただけると思う。 (第二巻編集担当 三輪寿二)

第3巻 『「新優生学」時代の生老病死』

日本社会臨床学会(編)

私たちは、「少子高齢化社会」「男女共同参画社会」「健康義務化社会」などと呼ばれる時代に、生まれ、老い、病み、そして死んでいく。本書は、このような社会で、私たちが体験する生老病死の諸相に着目し、それらの問題・課題を論述している。それらの切り口は、健康増進法、介護保険制度、尊厳死・安楽死、障害者自立支援法、胎児診断・不妊治療などである。ここには、健康か病気か、若さか老いか、健常か障害か、有能か無能かなどをさまざまに生きる人々を「生きるに値する生命」と「生きる値しない生命」に仕分けて、それなりに処遇する「社会・人間・生命」の見方・考え方がある。すなわち、現代においても、優生思想とその具現が進行していると言える。本書は、20世紀前半に展開した、アメリカの古典的優生施策に関わる事件に立ち寄ったが、それとの対比で言えば、現代の優生施策は医療・福祉サービスになっている側面があるし、それらは商品化すらしている。したがって、私たちは、自己決定・自己責任において、それらを選択して、利用し消費する時代に生きている。本書を『「新優生学時代」の生老病死』とタイトルしたゆえんである。

さて、国民の生存権、幸福権を保障すると約束した福祉国家は、グローバル化した市場経済の勢いと新自由主義体制化のなかで、限りなく後退しているが、本書は、障害者の社会参加、介護の社会化などのなかで、それらのことを検証している。ここでは、ただちに「国の責任」、それと裏腹の「国の抑圧・管理」と「国民ならざる者の排除」が問われてくるのだが、こうして、私たちは、個人、家族、地域、そして国のはざまで揺れ動きながら生きることになり、新たな共同性の創造という課題にも直面している。

本書に還流する、もうひとつのテーマである。お読みくださると幸いである。(第三巻編集担当 篠原睦治)

第4巻 『心理主義化する社会』

日本社会臨床学会(編)

「あなたは絶対に自信がありますか、心の健康に?」

これは厚労省『こころのバリアフリー宣言』(2004年)の言葉である。この脅しともいえる言説が象徴するように、「不健康・不健全」をみつけだそうとするまなざしが教育や福祉などさまざまな領域に広がっている。早期発見・早期治療のかけ声とともに、このまなざしは地域や家庭の中にまで浸透しようとしているのだ。それにともない、精神医学的対応や心理学的対応を受ける人もまた増加しようとしている。

文科省は「発達障害」の「児童生徒が約6パーセント程度の割合で在籍している可能性」(『発達障害早期総合支援モデル事業』2007年)があると言い、厚労省も「生涯を通じて5人に1人は精神疾患にかかる」(『こころのバリアフリー宣言』)と述べている。このような行政の姿勢が広がっていけば、「精神疾患」「障害」として医学的・心理学的対応を受ける人々が急増していくのは間違いない。こういった心理主義化の進展ともいえる事態をどう捉えていくのか、それが第4巻のテーマである。

このところ「心理主義」や「心理学化」という言葉がよく使われるようになった。本学会でも2004年の総会で「いま、社会の心理主義化をどう問うか」というシンポジウムを開いている。では、その「心理主義」という用語をどう捉えていけばよいのだろうか。また、心理主義化の背景にある社会の変化をどう考えていけばよいのだろうか。さらに、心理学や精神医学の浸透とともに広がり変化してきた「健康」「癒し」「アイデンティティ」「障害」といった概念をどう問い直していけばよいのだろうか。そういったことを検討する中で、心理的言説や技法の浸透がひきおこす問題を考えていく、それが本巻のねらいである。(第四巻編集担当 中島浩籌)

頑固なれど頑迷ではないオールドボーイ・オールドガール達~シリーズ「社会臨床の視界」(全四巻)刊行に関わって~

菊地泰博・現代書館代表

また、社臨(日本社会臨床学会)の皆様と一緒に仕事をさせていただきました。「また」と言いますのは社臨の会員の方々と仕事をご一緒してから30年以上にもなるからです。現在も社臨の会員で、当時日本臨床心理学会(日臨心)の会員だった、山下恒男さんの『反発達論』の初版が1977年6月、その4年前1973年9月には当時やはり日臨心の会員だった渡部淳さんの『知能公害』が刊行されています。現代書館の創業が1967年ですから会社の歴史は皆様と一緒にあったといっても過言ではないくらいです。

その当時から、今回のシリーズ「社会臨床の視界」(全4巻)編集担当である篠原睦治さん、小沢牧子さんや、執筆頂いているほとんどの方々とお付き合いいただいておりますが、よくもこれほど頑固な人達と付き合えたと、自分でも感慨深いものがあります。

お二人をはじめ、日臨心や社臨の方々が、何処の職場や学校でどんな経歴だったかは正確には存じませんが、話の端々、それよりも日臨心の改革やその後の社臨の創立などの実際の行動を見聞きしておりますと、なんて頑固で原則的な人達なんだ、一体この人達はどんな生まれで(出自で人を思うのは如何なものかとは思いますが)、どんな学問をして、どんな思想形成したのか、と興味も感じておりました。多分学生時代の運動ではなく、幼児から青年期にかけての思想形成時、自己と社会の経済問題が思想に転化する時の複雑な生活体験を引きずっている人達なんだろうという思いで、私は畏敬すら感じております。

そんな方々と今回もまた、全4巻という、これまでの社臨の活動の集大成ともいうべきお仕事をさせていただきました。篠原さんから声を掛けていただいたのが2005年4月、4年越しになりましたが何とか間もなく刊行されます。

これまでの日臨心や社臨編集の本は、いつも斯界に一石を投ずる内容でした。それは、思想として原則的で、一貫して差別されている人々から学ぼうとする姿勢のこのような書籍は、他の学会では書けないだろうと思っております。グローバリズムが浸透し、人間の価値の基軸が変わってきている、この時代には、社臨の方々のような考え方を夢想だにできない研究者・実践家が多いのではないでしょうか。この価値観の激変の時代、頑固に基軸を変えない・変えられない人々、この思想・生き方の頑固さは貴重です。

へそ曲がりというより、皆様と気持ちが通底しあえると信じている私は皆様の頑固さが大好きですし、今回お声を掛けていただいたことに感謝しております。

おそらく私が現役では今回が皆様との大きな仕事の最後になる事でしょうが、今回実質的に編集に関わった新人編集者を私の後任として、この場をお借りして紹介させていただきます。昨年の社臨の総会時も会場でお手伝いさせていただいたそうですが、下河辺明子という若者です。もの凄い頑張り屋です。多分私がその気質を持っていないからでしょうが、私はこつこつと真面目に頑張る人が大好きです。下河辺明子は正にそういう若者です。本人も皆様に信頼される編集者になるべく努力しております。何卒よろしくお願い申し上げます。