シンポジウムII
暮らしに浸透する医療 〜福祉・教育・医療の場から〜
司会者から
医療用語が暮らしの中に浸透してきています。PTSDやLD、AD/HDといった言葉が福祉や教育の場でもよく使われるようになり、それにともなって医療・治療的対応も要求されるようになってきました。様々な事件の加害者に対しても「人格障害」などといった診断名をつけて語られることが多くなっています。
こういった状況は暮らしの中で起こっている問題を個々人の「こころ」の問題へと還元してしまう心理主義的な傾向と強いかかわりを持っていると思われます。しかしまた他方で、「体質、脳、遺伝」といった人間の身体の生物的側面に原因をさぐっていくという傾向にも強く関係しています。この二つの傾向はどのように結びついているのでしょうか。
またこういった診断名・ラベルを貼られてしまう側も医療を求めてしまう、あるいは求めざるをえないといった状況もあります。こういった医療化の現状をどのように捉えていけばよいのでしょうか。
このシンポジウムでは福祉・教育・医療の場で具体的に起こっている問題を通して浸透しつつある精神医療について議論していきたと思います。
発題者は石川憲彦さん、三浦高史さん、根本俊雄さんです。
石川さんは最近まで大学で精神医学を教えていらっしゃいましたが、昨年東京都目黒区で林試の森クリニックを開かれています。
三浦さんは兵庫県明石市の「こどもの発達研究所」で教育、医療の問題を考えてこられました。
また、根本さんはNPO
SAN Net青森で精神保健サービスの問題を長く考えてこられた方です。(司会 中島浩籌・竹村洋介)
発題1 (石川憲彦 〜林試の森クリニック)
石川さんは医療化を有史以来連綿と続く政治的な行為であると捉えます。そしてこの行為の中で最も大切なこととしてストーリー化があるとみます。
生活者にとっては、生命の危機という個人的課題に、最も安心できるストーリーを与えてくれるのが医療であり、社会にとっては、その防衛のために最も納得しやすいストーリーを用意するのが医療であるということです。
この医療化は21世紀に入って新しい段階に入ってきています。情報社会化の中でおこる生存形態の変化にともなうストーリー転換です。これは民営化や、個人責任や個人負担、社会防衛思想の増大ということにも関連してきます。
石川さんはこういった視点にたって、「健康増進法」や「発達障害者支援法」の問題点を鋭く論じてこられました。今回のシンポジウムではこの新しい段階に入った医療化のストーリーとはどのようなものなのか、またこのストーリーが暮らしにどのような問題を引き起こしているのか、こういった点を中心に医療化の問題点を具体的に鋭く論じていただけると思っています。(文責 中島)
発題2 (根本俊雄 〜NPO法人 青森SAN Net)
福祉の仕事を始めたぼくが、精神障害者といわれる人と出会ったとき、生活の貧しさに驚いた。近隣の目を気にし、外出を控え、友人も出かける場もない。線路近く、古びたアパートでひっそりと住むご夫婦がいた。あるとき、タンスの奥から結婚式の写真を取り出してくれる。二人は病院で知り合い結婚。白黒写真に写った若々しい二人が誇らしげにこちらを向く。写真と彼らの生活の落差にぼくは悲しくなった。これは30年近く前。ぼくは、当時、入院の問題は感じていた。(入院)管理と(退院)遺棄。
15年前、受診から帰って来た人とばったり駅近くで会った。デポ剤でフラフラになっている。抱きかかえるようにアパートまで送っていったとき、地域に広がる医療の恐ろしさを感じた。そのころ、作業所やグループホームが地域管理になっているのではないか、そんな議論も経験していた。管理か反管理、制度に参加するか反対するか。
精神障害者と精神医療は裏と表の関係だ。だから多くの病者は良心的医療を求める。でも、ぼくは地域で精神障害者の彼ら彼女らに出会い、考えてきたので、トンと医療に積極的な関心はもたないでここまできている。生活の場面でもっと豊かに暮らせないか、仲間と力を合わせて自分らしい人生を送れないものか、そんなことを考える拠点を地域に作りたい。そういった思いから漂流。横浜から岡山。青森にたどり着くのが8年前。
青森市の中心商店街で、オープンスペースを夫婦で開いた。今年で6年目。公的助成はまだなく(拒んでいるわけではないけど)、経済的に四苦八苦。「おれ達のほうが生活保護や年金をもらっているだけ、根本さんたちより金があるなぁ」と笑いあったり、何かに怒ったりの毎日。次第に、商店街やNPOとのつながりが生れ、障害者が商店街に、外にでかけている…そんなささやかな日々のなかで感じていることをシンポで提供したいと思います。
発題3 特別支援教育の準備段階に関って(三浦高史 〜こどもの発達研究所)
兵庫県のこどもセンター(児童相談所)を退職し、こどもの発達研究所を開設して2年になります。こどもセンター在職中に教育委員会とのつながりがあり、退職後も兵庫県教育委員会や市町の教育委員会から依頼を受けて特別支援教育の準備段階である学校現場の研修会や、軽度発達障害の相談に出掛けています。そこで痛感しているのは、あまりにも安易に教師によるラベリングが行われていることであり、医療機関でも誤診としか思われない診断が乱発されていることです。LDと診断されていた子どもに軽度知的障害の子どもが多く含まれていたり、幼児期にADHDと診断され、その後アスペルガー障害とされた子どもが、どう考えてもコミュニケーション障害の表出性言語障害(発達性運動失語症)としか思えないものであったり、ADHDと診断された子どもが被虐待児だったこともあります。手のかかる子ども、集団生活からはみ出す子どもを、軽度障害児にして特別支援教育に押し込めてしまいたいという意図がみえみえの場合も少なくありません。当日は、手のかかる子どもを軽度障害児にしていく教育現場の問題や私達自身もそれに同調してしまう問題について話したいと思います。